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2011年4月 7日 (木)

感謝されて

さっき たまに職場に現れる女性が またやってきた。
近所に住んでいる方らしく 「病院行ったついでに話をしに」寄っている感じなのだけど
昔 中洲でママをしていたという博多弁ばりばりの女性は
からっとしていて 人好きする感じの人。60代くらいかなぁ?

半月ほど前に 立ち寄った時に

「私 よその(?)PC教室に通いだしたっちゃん」

と言っていた。

どーもヘッドホンをしてDVDを見ながら 操作をするタイプの教室らしい。

今日 また ふらりと立ち寄られた時に

「PC教室 行き出して1か月が 経ったとよ!
ちょっと質問があるっちゃけど よか?
この前の授業の時に よーわからんやったけど
眠くて質問できんかったっちゃん」

と笑いながら言うので

「どういうところですか?」

と聞くと
本当に初心者中の初心者の方が つまずく点だったので

「それは ××で・・・・こういうこともあって・・・」と
いろいろ説明してあげると。

「うわ~ よーわかった。
教えるの上手かねぇ」

と褒めてくれた後、一通りご家族の話をされて帰って行かれた。

最近 ああいう方を教えるクラスを担当していないので
なんだかとっても新鮮でした。
と同時に 懐かしく思い出されてしまった。
やっぱり私は その方曰く「超初心者クラス」の授業が好きだなぁと
思ったのでした。
その方は お客様じゃないけどね。

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コメント

教えることについて云えば、「大学の先生」より「小学校の先生」のほうがむずかしい、と昔から云われています。
大学の先生は「教授」で、教え授ければ良いの
です。授け放しの一方通行で、学生が分かっても分からなくても構わないのです。
中学・高校の先生は「教諭」で、教え諭すのです。生徒に分かるように云って聞かせるます。
小学校の先生は「訓導」で、訓え導くのです。
手を取って連れて行ってやるのです。
それに、同じ「おしえる」でも「教」と「訓」では、意味が違います。
「教」は模範を示す意味。生徒はそれを見て自分で学ぶのです。
「訓」は、「言偏(ごんべん)」が付いているように、口で云って分からせるのです。

投稿: wkazuw | 2011年4月 8日 (金) 05時04分

同じ「おしえる」でも
随分と意味合いが違うのですねぇ
でも確かに自分が大学まで通って
「おしえて」もらったことを
振り返ると おっしゃる通りですね。
「教授」には ならないようにしないとな!と思いました。

投稿: みほ | 2011年4月 8日 (金) 13時52分

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